2011年4月2日土曜日

再び石巻へ(1日目)

朝からぐるぐる荘のメンバーや、つぶちゃんの手を借りて積み込みを行う。昨日しんさんも来てある程度やってもらっておいたから、楽にできた。
でも量はいっぱい。
味噌焚き釜&クド4セット。浴槽二つ。運動会テント1幕。薪ストーブ1台。薪5巻。燃料18リットル6個。水用ポリタンク。水中ポンプ2台。ローリータンク2台。炊き出し用の野菜。衣類多数。
9:00に出発
今回はあみちゃんも一緒に行く。

近所の地場産品加工所「あずさ夢工房」で、「米粉味噌パン」120個!を支援物資として頂いて行く。いつも味噌造りの方法を教わったり、米粉パンを頂いたりお世話になっているところで、被災地に行くといったら、急きょ、仲間を動員して120個を作ってもたせてくれた。
私たちも何かしたくて、市役所にパンの提供を申し出たけど断られたのだという。

今回は、道を急ぐため新潟から磐越自動車道を通って、郡山から東北自動車道を北上、仙台から石巻に行く。写真は磐梯山14:00。

17:30石巻専修大学に到着。安曇野の仲間が来ているので会うため寄る。ゆもとさんは昨日から。まこっちゃん、みやざきさんボラ報告は今日から。ちょうどみんなと会えて情報交換をする。ゆもとさんは「め組JAPAN」で。まこっちゃん、みやざきさんはもう少し移動して女川で女川社協の紹介で活動する予定。
石巻専修大学には地元社協のボランティアセンターがあり、他のボランティア団体「ピースボート」「め組JAPAN」「ap bank」「JEN」とかも来ていて、テント村が出来つつある。
隣のパネルトラックも廃てんぷら油号。パネルいっぱいにメッセージが書いてあった。

私の受け入れ先のボランティア団体の事務所はそこから車で30分ほど内陸に入ったところ。福祉施設の事務所の一角から引っ越し、使っていなかった公民館を事務所として構えていた。体育館もあり、支援物資置き場と、寝るところになっていた。

2011年3月30日水曜日

被災地へ味噌炊き釜を持っていく!

 石巻からの帰り道、お湯が沸かせるいい方法はないか考えながら帰った。温かいお湯があるだけで、顔も洗えるし、体も拭ける、足湯にしてもいいし、お風呂に使ってももちろんいい。
 ガスがなく、水道もでない。
ふとひらめいたのが、味噌炊き釜。あれなら薪ですぐ大量のお湯が沸かせる。家に1つあるが、もう1個あれば、浴槽にお湯が張れるだけの量を確保できる。
 市民タイムスの「みんなの掲示板」くださいコーナーに、被災地で使うためとして、浴槽、味噌炊きの釜とクド、運動会用テントを掲載してもらうように電話をする。
市民タイムズさんではすぐに掲載してくれて、多数の方から、寄付の申し出があった。

最初に連絡を頂いた方から必要量だけ預かり、あとは、また必要になったら連絡させてもらうとお願いする。
みんな被災地に何かしたいが、何をすればいいか困っている様子。
塩尻小曽部のおばあちゃんからも味噌炊き釜と、折り紙と折り紙作品を頂いた。
他の方からも、防寒具や、下着や、お菓子の差し入れ、マッチ、ホカロン。
色々なもの、思いを託された。

動ける人が、被災地のニーズを汲み取り、田舎に戻って伝える。
田舎のみんなの思い、物資を被災地に届ける。

味噌炊き釜には、提供者や田舎のみんなの思いが詰まっている。

現地報告をしました。

みおさんhttp://bnatyammio.naganoblog.jp/index_2.html
のチャリティーライブで、いわもとさんと現地報告をさせてもらいました。

いわもとさんは、現地に行くまでの詳しい経緯と、避難所での様子を報告しました。
私は、ボランティアの必要性を訴えました。
うまく伝わったか解らないけど、
行政がすべきことが十分出来ていないこと。それはこの大災害の状態では、無理もないこと、行政の方も地元の人も頑張っている。物資も集まり始めている。
でも、全然人的援助が足りていない。忘れられている人、地区がある。
いける人はどんどん行って、自分でニーズを集め、行動しよう。





2011年3月28日月曜日

ボランティア4日目最終日

 あっという間の4日間。4日間なのか1週間なのか1か月なのか?時間の感覚がまるでない。ボランティアの仲間も、ず~っと前から知り合っていたような、もう会えなくなるかもしれないなんてことは思えない、不思議な感覚。
 倒れた電柱をよけて通る道、自衛隊のトラックが行きかう道、塀や家が倒れている景色。
異常なはずの景色が、自分の日常になりつつある。

 最終日は、同じボランティア仲間の大学生のたっての希望で、津波の被害のあ
った地区へ行くことになった。
彼が知り合った、避難している方から、「ぜひ被害にあった自分の町を見て帰ってくれ、そして現状を、ここであったことをみんなに伝えてくれ、」と言われたのだという。
地図で、その方の住んでいた地区を確認して、出発。
30分ほどかかって石巻港近くの住宅地についた。

信号はどこも点いていない。車の量も少なく、ゆっくり走っている。
大きな町なのにとても静かだった。

写真を撮るのにも気力がいるが、なんとか撮る。









潅水している道を渡り、瓦礫の間に作られた道をぬけて、泥のたまった駅前通りを通り、ぐるっと回って事務所に戻る。

彼を、ボランティア事務所に送り届けて、ボランティア仲間に挨拶をして、帰途につく。
仲間には挨拶で「帰ったら、ここで、見たこと、聞いたこと、感じたことを地元のみんなに伝えていきたい。」
と言ってきた。
でも正直なところ何を感じたのかよくわからなかった。

はっきり言ってこなかったが、また行くことは確実だったので、次はどうしようか考えた。

食べ物はなんとかなっている、清潔のニーズが必要になっている。あの日からお風呂に入れていない方もいる。なんとかお手伝いしたい。

2011年3月27日日曜日

避難所でボランティア3日目

 今日は、私がリーダーになった。
前のリーダーが帰ることになり、次に古株の私がやることになった。
と言っても、私はおととい来て、もう古株だから、びっくり。
1日、1日の内容が濃くて、それなりの時間が経っているような気がする。

今日は、炊き出しにカレーを作ることになった。
炊き出しには定番のカレーだが、まだこの避難所では、カレーすら出ていない。
みんなが期待していた。
ボランティア女性陣が頑張って作った。
多くできたので避難所に詰めている、医療スタッフ、行政スタッフにも行きわたった。
みんなおいしかったと言ってくれてうれしかった。

今この避難所で必要なこと、モノ。
温かい食事の提供、病状にあった食事の提供、清拭や入浴など身体の清潔、下着、レクレーション。

でも本当は元の生活。まずは。