2011年3月30日水曜日

現地報告をしました。

みおさんhttp://bnatyammio.naganoblog.jp/index_2.html
のチャリティーライブで、いわもとさんと現地報告をさせてもらいました。

いわもとさんは、現地に行くまでの詳しい経緯と、避難所での様子を報告しました。
私は、ボランティアの必要性を訴えました。
うまく伝わったか解らないけど、
行政がすべきことが十分出来ていないこと。それはこの大災害の状態では、無理もないこと、行政の方も地元の人も頑張っている。物資も集まり始めている。
でも、全然人的援助が足りていない。忘れられている人、地区がある。
いける人はどんどん行って、自分でニーズを集め、行動しよう。





2011年3月28日月曜日

ボランティア4日目最終日

 あっという間の4日間。4日間なのか1週間なのか1か月なのか?時間の感覚がまるでない。ボランティアの仲間も、ず~っと前から知り合っていたような、もう会えなくなるかもしれないなんてことは思えない、不思議な感覚。
 倒れた電柱をよけて通る道、自衛隊のトラックが行きかう道、塀や家が倒れている景色。
異常なはずの景色が、自分の日常になりつつある。

 最終日は、同じボランティア仲間の大学生のたっての希望で、津波の被害のあ
った地区へ行くことになった。
彼が知り合った、避難している方から、「ぜひ被害にあった自分の町を見て帰ってくれ、そして現状を、ここであったことをみんなに伝えてくれ、」と言われたのだという。
地図で、その方の住んでいた地区を確認して、出発。
30分ほどかかって石巻港近くの住宅地についた。

信号はどこも点いていない。車の量も少なく、ゆっくり走っている。
大きな町なのにとても静かだった。

写真を撮るのにも気力がいるが、なんとか撮る。









潅水している道を渡り、瓦礫の間に作られた道をぬけて、泥のたまった駅前通りを通り、ぐるっと回って事務所に戻る。

彼を、ボランティア事務所に送り届けて、ボランティア仲間に挨拶をして、帰途につく。
仲間には挨拶で「帰ったら、ここで、見たこと、聞いたこと、感じたことを地元のみんなに伝えていきたい。」
と言ってきた。
でも正直なところ何を感じたのかよくわからなかった。

はっきり言ってこなかったが、また行くことは確実だったので、次はどうしようか考えた。

食べ物はなんとかなっている、清潔のニーズが必要になっている。あの日からお風呂に入れていない方もいる。なんとかお手伝いしたい。

2011年3月27日日曜日

避難所でボランティア3日目

 今日は、私がリーダーになった。
前のリーダーが帰ることになり、次に古株の私がやることになった。
と言っても、私はおととい来て、もう古株だから、びっくり。
1日、1日の内容が濃くて、それなりの時間が経っているような気がする。

今日は、炊き出しにカレーを作ることになった。
炊き出しには定番のカレーだが、まだこの避難所では、カレーすら出ていない。
みんなが期待していた。
ボランティア女性陣が頑張って作った。
多くできたので避難所に詰めている、医療スタッフ、行政スタッフにも行きわたった。
みんなおいしかったと言ってくれてうれしかった。

今この避難所で必要なこと、モノ。
温かい食事の提供、病状にあった食事の提供、清拭や入浴など身体の清潔、下着、レクレーション。

でも本当は元の生活。まずは。

2011年3月26日土曜日

避難所でボランティア2日目

朝から雪が積もっていた。
ボランティアの事務所は、福祉施設の事務所の1画を借りていた。
そこで寝泊まりし、朝にそれぞれ車を乗り合わせて各避難所に向かう。

事務所は、水道、ガスがストップしていたが、電気は昨日から来て床暖が機能して暖かかった。

余震が頻繁にあるが、短時間で弱く、慣れていった。

避難所では、カセットコンロを何台も並べて、喫茶コーナー用のお茶のためのお湯を沸かしたり、炊き出しの鍋をかけたり、支援物資のゆで卵をむいたり、裏方の仕事をした。
喫茶コーナーが人気で、お湯を沸かすのに間にあわないくらいだった。避難所の憩いの場になりつつあるようだった。
他のメンバーは、避難者一人一人に声をかけて、話を聞いたり、身の回りのお手伝いをした。

地元の社協の方が増えて、ボランティアチームにも余裕ができてきた。
これからは炊き出しに余力を回せそうだ。




夕方、避難所の活動から帰って、外を見渡すと、空き地に、臨時のごみ集積所が出来ていた。震災で出たごみが、これからまだまだ持ち込まれることになるのだろう。
土手の向こうは、旧北上川。




いわもとさんは昨日帰り、午後また新しいボランティアが入ってきた。
自己紹介、各避難所での活動報告、明日の計画など、夜遅くまでミーティングをする。

2011年3月25日金曜日

仙台から石巻へ

仙台から、石巻へ移動。
自衛隊の車がひっきりなしに通る。
高速道路はところどころひび割れ、段差が激しい。

石巻は津波の被害がひどいところ。避難所も多数ある。

受け入れのボランティア団体では石巻の何箇所かの避難所に、ボランティアを派遣していた。
私が行ったところは、いわもとさんも3日前から行っている、丘の上の公共の多目的施設。避難者が100人ほどはいっている。
ここは内陸で、津波の被害はないが、道中ところどころ、家屋が倒壊していたり、電柱がたおれていたり、塀が倒れていて地震の被害を目の当たりにする。

避難所の施設はとても立派で新しかった。電気が来て、空調が利いて暖かい。
だが、ところどころ大きなガラスが割れている。
水道も使えず、給水車の水に頼っていた。
ガスも使えない。

避難者は、体育館兼用のホールに、直に布団を敷いて生活していた。
もともと病院に入院していたが、震災で重傷患者が入院したため、ここに転出してきた人もいて、要介護の方が多い。

ここでのボランティアの仕事は要介護者の身体介助と、地元の医療、介護スタッフの手伝い。
またボランティアの発案で始まった、喫茶コーナーの運営など。

昨日初めて、ボランティアにより、炊き出しのお味噌汁が配られた。
それまでは支援物資のパン、おにぎりのみ。
今日もシチューを作って配った。

私はあしたから本格的に活動します。